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  • 執筆者の写真栗原誠

税理士独立への道 ~税理士を目指すまで①~

町田市の税理士くりはらです。


税理士として開業して早くも半年が経ちました。

少しは落ち着いてきたので、税務の事だけでなく、ほかの事も書いてみようかなと。

まずは税理士として独立するまでを振り返ってみようと思います。


 税理士を目指すまで① 


もともと中学校から高校生までは中1の時の担任の先生に憧れて、陸上部の顧問をやる英語教師になりたいと思っていました。単純ですね。。


高校3年での大学受験までは英語教師を目指して英語を勉強していました。

転機は浪人時代。将来に不安を持ったのか「ツブシガキク」と言われていたのと司法試験も目指せるということでなぜか志望学部を法学部にしていました。本来、英語教師になるなら英文科とかいかないとダメだというのは入学後に教職課程を取ろうとしたときに初めて気付きました。


何とか第4希望(失礼)の大学に合格。秋の防衛大学の面接試験でも、第何志望ですか、と聞かれゆっくり指折り数え、第6希望です、と真顔で答えていました。なぜか合格しましたが大バカ者ですね。当時はまさに学歴社会に思考が染まりきっていて偏差値でしか希望大学を考えていなかったのです。


ただ受験勉強を頑張ったおかげで大学入学すぐに受験した英検は準1級の筆記に合格できました。しかし空手の試合で顎を骨折した直後に臨んだ会話の試験は不合格。(難しかったので骨折がなくても不合格だったとは思います)


また入学後すぐに司法試験を目指す基礎研究会に一瞬入りましたが、受験から解放されてまた猛勉強する気に全くなれず挫折。教職課程も法学部では社会科しか取れないということで挫折。教師になるのも司法試験もどちらも大変なのに大学に入れればなれるくらいに考えていました。今思えば世間知らずというか本当にバカと言いたいくらい甘かったですね。


結局、大学は最低限の単位だけ取って卒業できればいいや、となり、小学生の時からの憧れだった念願の空手を本格的に始めることになりました。(本当は高校から始めたかったのですが、物凄く怖かった父親に大学に受かってからにしろ、と言われた影響)


この空手が道場に入って数か月後に気付いたのですが、極真空手という知る人ぞ知る怖い流派。入門見学の時は型の練習をいっぱいしていたのでカッコいいと思って入ったのですが、型をいっぱいやるのは審査前くらいで通常は基本稽古や組手がメイン。


基本稽古は地味で苦しいし、組手は痛いし怖い。道場では中学生や女性も含め誰よりも細かったであろう私は何度も何度も色んな人に倒されていました。でも先輩はみんな強くてかっこよくて憧れていたので一度も辞めたいとは思わなかったです。徐々に動きやコツを覚え、先輩の動きを真似して、勧められたウエイトトレーニングも始めて少しずつ強くなっていけました。


空手は有段者は黒帯、級は帯が下から白、青、黄、緑、茶(当時)と色で分かれています。昇級出来ると自信が付きますし、帯が下の人に技も組手も負けないようにと気合が入ります。ただ、他の道場も含めた試合となると帯なんて関係なく下手すると黄帯の人が茶帯に勝つこともあります。指導員にもなり、選手として試合にもたくさん出てそしてたくさん負けました。本番に弱いのもありますが致命的に持久力がなかったです。瞬発的には物凄い力が出るのですが、何回戦も戦うスタミナがないというか。仲間には赤血球が足りないんじゃない、とか真剣に言われていました。


大学卒業間際に受審した昇段審査で10人組手を完遂して黒帯を取得。空手を続けるため卒業後に入省した郵便局時代にはウエイト制全日本にも出場し、大した結果も残せず早くも選手としての現役時代が終わろうとしていました。


つづく




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